「とにかく伝えたいことを一言で言うなら、面白い、ということですね」
ビットコインやブロックチェーンについて、初心者に何を知ってほしいか。そう尋ねたとき、伊東謙介さんの答えは拍子抜けするほど短かった。難しさでも、将来性でも、投資でもない。「面白さ」。
伊東さんは、東京大学ブロックチェーンイノベーション寄付講座で特任研究員を務める。この講座は東大の中にありながら、民間企業からの寄付で成り立つ組織だ。研究だけでなく教育に力を入れ、次々に新しい言葉や文脈が生まれて学びづらいこの領域を、体系的に整理して裾野を広げようとしている。
「一言で言うなら、面白い」。あらゆるジャンルがカチッとはまる
面白さの正体は、噛み合わせにある、と伊東さんは言う。
「たくさんのジャンルが絡み合ってるんですよ」。コンピューターサイエンス、暗号学。ここまでは想像がつく。その先に、法律があり、経済学がある。経済学をバックボーンに持つ伊東さんにとって、ビットコインの核心は「すごい暗号技術」ではない。
「二重支払いを防ぐために何かすごい技術を使っているかというと、実はそうではなくて。むしろ古い技術を組み合わせたうえで、インセンティブの設計をうまくやった」。悪いとされることは、やろうと思えばできなくもない。けれど、やっても得はしない。プレイヤーがそう振る舞わざるを得ない構図を作ったこと。そこが新しいのだと伊東さんは言う。
自律分散的に物事を動かすには、参加者の損得を設計しなければならない。「よくこれとこれを、違うジャンルに思えるものたちをくっつけたな、という部分が面白い」。畑の違うピースが、綺麗にカチッとはまって動いている。それを知ると、面白い。
「ビットコインは、ボードゲームみたいなもの」
とはいえ、初学者には壁が高すぎるのではないか。そう食い下がると、返ってきたのは意外な言葉だった。「本当は難しくないんですよ、重要なポイントは」。
「すごい技術の組み合わせだと思われがちだけれど、インセンティブ設計というコアの部分は、ボードゲームみたいなものなんですよ」。
プレイヤーがいて、ルールがあって、その上でどう振る舞うのが得かを設計する。ビットコインの根っこにあるのは、そういうボードゲーム作りに近い営みだという。「こんなシンプルなルール(プロトコル)でこんなすごいことができちゃうんだ」。彼自身、初めてその仕組みを理解したとき、脳がうわーっとなる感覚があったと振り返る。
「国家に依存しないお金を作る。普通に考えれば、そんなとんでもないことができるわけがないじゃないですか。いや無理だろ、と初めは思うんですけど、よくよく考えてみると、あ、確かに機能するわ、と」。無理だと思っていたことが、意外と成立してしまう。その驚きが、彼の言う「面白い」の実体だ。
アーティストになりたい研究者
なぜ研究者が、ボードゲームのようにビットコインを語れるのか? 伊東さんの経歴について尋ねると、話は思わぬところへ転がった。
「もっと遡ると、僕はとにかく現代美術が好きで、今でもアーティストになりたいんですよ」。美大も考えた。けれど、日本には美術のマーケットがまだほとんどない。「マーケットを作るところから始めないとダメだ、という思いがあって。それで経済学に進んだんです」。
アートの市場を作るために経済学へ。数学とは無縁だったはずの人生が、そこで折れ曲がる。大学院に進むタイミングでは、アートとブロックチェーンを掛け合わせた会社「スタートバーン」の立ち上げにも関わった。本人は当時「その創業にコミットしたかった」と振り返るが、代表から「君の人生に責任を持てないから、今僕がいる大学院に進学してくれ」と背中を押され、東京大学大学院へ。学際情報学府で博士号を取り、いまはブロックチェーンの研究に軸足を置く。
「ゴリゴリの文系の人間だったんですよ」。数学に苦手意識があった彼を橋渡ししたのは、経済学の教え方だった。「リンゴ1個、ミカン1個、みたいな話から始まって、じゃあそれをx1, x2という記号にしましょう、いろんな果物があるから全部ベクトルにまとめましょう、と少しずつ抽象的にしていってくれる」。具体から抽象へ、段階を踏んで連れて行ってくれる。だからとっつきやすかった。
その具体からの階段が、いまブロックチェーンを教える彼のやり方にも通じている。
「外れの時代」に生まれた、という感覚
ビットコインが彼にとって特別なのは、仕組みの巧みさだけが理由ではない。
日本に生まれて三十年あまり。「なんでこんなに社会や経済が停滞してるんだろう、という思いがずっとあった」。自分は外れの時代に生まれてしまったのかもしれない。そんな諦めに近い感覚を抱えていた。
ビットコインの設計を知ったとき、その感覚が裏返る。「インセンティブ設計を提示するだけでこんな大それたことができるんだったら、今の時代が悪いとか、そういうことを考えてちゃダメだな、と。もっと制度の設計を通じて、世の中にちゃんと抗う、向き合うことをやらなきゃダメだと思ったんです」。よくできた設計への感嘆は、やがて、自分自身の生き方を変えるほどの勇気へと変わっていった。
彼にとって、インセンティブや制度を設計して自律分散的に動く仕組みを作ること自体が、現代美術になりうる。現代アートとは「今のこの時代をグッと詰め込んだ作品」だと彼は言う。停滞する時代に生きた人間が、どう足掻き、どんな設計で抜け出そうとしたのか。それを論文だけでなく、作品としても残したい。研究とアートは、彼のなかでひとつながりだ。


<引用元:knskito.com>
個展の記録動画も公開されている。
「建築家」の目線と、無料で開かれた公開講座
その面白さを、どう他者へ伝えるか。伊東さんは「建築家」という例えで教えてくれた。
プログラミングは、家づくりでいえば大工の仕事にあたる。図面どおりに釘を打つ。だが、その手前には必ず「どういう家を建てるか」を決める設計がある。「どういうプレイヤーがいて、こういう悪さをする可能性もあるよね、と考えるべきことがたくさん出てくる。そこを考えるときの助けになる、教科書的なものを作りたい」。クリプトエコノミクスやトークノミクスといった言葉は、まだ人によって使い方がふわっとしている。それを経済学の観点から整理し、硬い論文と、やさしい日本語の両方で残す。それが彼の研究テーマのひとつだ。
その裾野づくりの実践が、講座が2018年に活動を始めて以来、教育に本腰を入れた第3期から開いている無料の公開講座だ〈2018年11月開始/第3期は2024年2月。出典:公式サイト〉。Discordに登録すれば動画がすべて見られ、受講は無料。学習コミュニティはいまや4,500人を超える〈2026年度・公式サイト〉。伊東さんによれば、受講者の約8割は社会人。一度受けてもう一周する人もいるという。設計は基礎編と応用編に分かれ、一度ざっと全体をさらってから、もう一段深く辿り直せるようになっている。

<2025年度のガイダンスの様子 ※ご本人提供>
「設計を面白いと思ってほしい」
学ぶことを強要する気は一切ない、と彼は念を押す。ただ、設計そのものを面白いと思ってもらいたい。「全員じゃないと思うんですけど、仕組みを知ることで、何人かは多分スパークしてくれると思うんですよ。僕みたいに」。
無理だと思っていた仕組みが、意外と成立してしまう。その驚きで脳をスパークされた人間が、ひとり、またひとりと増えていく。文系だった彼が階段を上れたように、次の誰かも、具体から抽象へ、ゆっくり上っていけるように。設計図はもう、無料で開かれている。
伊東謙介(いとう・けんすけ) ── 東京大学ブロックチェーンイノベーション寄付講座 特任研究員。クリプトエコノミクス、トークノミクスの経済学的整理を中心とした研究を行う。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(卒業生総代)。現代美術家としては、美術品の価値を決める制度設計自体を現代日本における同時代的なコンセプチュアル・アートと捉え、スーパーフラット以後の芸術運動の可能性を探る。X:https://x.com/knskito / 個人サイト:https://knskito.com/
東京大学ブロックチェーンイノベーション寄付講座 ── 2018年11月活動開始。民間企業の寄付により運営される東京大学の寄付講座で、2024年2月に第3期を迎えた。「社会実装」「研究開発」「人材開発・育成」の3軸で活動し、第3期からは無料のオンライン公開講座にも注力。受講者コミュニティは4,500人超(2026年度・公式サイト)。公式サイト:https://www.blockchain.t.u-tokyo.ac.jp/
取材・文:RUNA NAITO/取材日:2026年7月14日(WebX2026会場にて)

