※本記事は茶谷公之さんのnote記事を許諾を得て再掲載したものです。本文は原文のまま、見出し・サムネイル画像のみ編集部で再構成しています。「第3章 AIに創造はできるのか。」より、前編・後編にわけて紹介します。
出典:https://note.com/oc_publishing/n/nf583362ab655
創造とは、人間だけの特権なのか
「AIに創造性はありますか?」
経営者や技術者の方々と話していると、必ずと言っていいほどこの話題に行き着きます。 多くの人が、心のどこかでこう思っているのではないでしょうか。
「計算や分析はAIの得意分野だが、0から1を生み出す『創造』だけは、人間の聖域である」と。
確かに、これまでのコンピューターサイエンスの歴史を振り返れば、AIの主戦場は「アナリシス(Analysis:分析)」でした。 大量のデータを読み込み、分類し、傾向を見つけ出し、最適解を弾き出す。これは、複雑な事象を要素に分解していく作業です。
一方で、バラバラの要素を組み合わせて新しい何かを作り出す「シンセシス(Synthesis:統合・創造)」は、人間の役割だとされてきました。絵を描く、音楽を作る、新しい料理を考案する、そしてイノベーションを起こす。これらは、人間の直感や感性がなせる技だと信じられてきたのです。
しかし、その境界線はいま、急速に溶け始めています。 生成AI(Generative AI)の登場が、すべてを変えました。
MidjourneyやDALL-Eが描く絵画、Sunoが作り出す楽曲、そしてChatGPTが紡ぐ物語。
これらは単なるデータの切り貼りではありません。私たちが「創造」と呼んでいた行為そのものを、AIは驚異的なスピードで実行し始めています。
では、AIは本当に「創造」しているのでしょうか?それとも、創造しているように「見せかけている」だけなのでしょうか?
私はこう考えます。AIは創造できる。しかも、人間が到底到達できない方法で。
本章では、AIの本質的な強みである「常識の欠如」に焦点を当て、イノベーションの正体について解き明かしていきたいと思います。
アナリシスからシンセシスへ
少し時計の針を戻しましょう。私がIBMの「シェフ・ワトソン(Chef Watson)」というプロジェクトを初めて見たときの衝撃は、今でも忘れられません。
あれは、AIがレシピを考案するというプロジェクトでした。ワトソンは、世界中の数万通りものレシピと、食材に含まれる化学成分のデータを学習していました。そして、人間には思いつかないような食材の組み合わせを提案してきたのです。
例えば、「チョコレート」と「ブルーチーズ」。あるいは、「いちご」と「キノコ」。
人間のシェフであれば、まず思いつきません。「そんなの合うわけがない」「常識的に考えて美味しくない」と、試す前に却下するでしょう。私たちの頭の中には、「料理とはこうあるべき」という文脈や常識がこびりついているからです。
しかし、ワトソンにはそんな常識はありません。ただ淡々と、化学成分のデータを分析し、「この成分とこの成分は相性が良いはずだ」というロジックだけで組み合わせ(新結合)を提示してくる。
実際にシェフがそれを調理してみると、驚くほど美味しかったのです。これがシンセシス(創造)です。
これまで人間は、AIを「分析(アナリシス)のためのツール」として使ってきました。
「売上データを分析してくれ」「顧客の行動パターンを解析してくれ」
これは、既存の正解を探す作業です。
しかしこれからは、「新しい組み合わせ(シンセシス)を提案させるツール」としてAIを使うフェーズに入ります。
「亀」と「蛇」の画像をAIに渡して、「これを混ぜた新しい生物を描いて」と指示すれば、AIは瞬時に見たこともないキメラを生み出します。それは現実に存在しないものですが、確かに「新しい創造物」です。
このように、AIはすでにアナリシスの領域を超え、シンセシスの領域に深く侵入してきているのです。
「倫理観の欠如」という才能
なぜ、AIは人間に思いつかないアイデアを出せるのでしょうか。その最大の理由は、逆説的ですが「AIには倫理観や常識がないから」です。
誤解を恐れずに言えば、イノベーションにとって最大の敵は「常識」や「倫理」、そして「コンプライアンス」です。
私たち人間は、成長する過程で社会のルールやマナー、倫理観を刷り込まれます。「これはやってはいけない」「こんなことを言ったら笑われる」「これは法律スレスレだ」
そうしたブレーキが、無意識のうちに発想の幅を狭めています。
企業の中にいると、それはさらに顕著になります。
ウチの業界では前例がない
コンプライアンス的にリスクがある
そうやって、尖ったアイデアは角を削られ、丸く収まり、誰からも文句が出ないがつまらない企画になっていく。「オーバーコンプライアンスの弊害」が起こってしまうのです。
一方、AIにはそのブレーキがありません。※もちろん、人権侵害や差別といった本当の意味での倫理的なガードレールは必要ですが、ここで言いたいのは「思考の枠組み」としての倫理の話です。
AIは、平気で「空気を読まない」提案をします。人間なら躊躇するような突飛な組み合わせも、確率的にあり得るなら提示してくる。
この「常識のなさ」「倫理の欠如」こそが、イノベーションの源泉なのです。
例えば、あるアーティストがAIに「美しいゴミ捨て場」を描かせたとします。人間なら「ゴミ捨て場は汚いものだ」という固定観念が邪魔をしますが、AIはゴミの色彩と光の反射を純粋なパターンとして捉え、息を呑むようなアートとして出力するかもしれません。
かつてピカソやゴッホ、モネといった印象派の画家たちが登場した時、当時の美術界の常識人たちは彼らを酷評しました。
「焦点が合っていない」「色が汚い」「デッサンが狂っている」
当時の「常識」というバイアスで見れば、彼らの絵は失敗作でした。しかし、彼らは常識の外側にいたからこそ、新しい美の概念(イノベーション)を創造できたのです。
AIは、現代における「常識知らずの異端児」です。彼らが吐き出す突飛なアウトプットを「ハルシネーション(幻覚)」や「エラー」として切り捨てるのか。 それとも、「人間には見えていない新しい結合の可能性」として面白がるのか。
テックリーダーの資質は、そこで問われます。
「フェンダーミラー」と「ドアミラー」に見るイノベーション
常識がいかに移ろいやすいものか、そしてイノベーションがいかに「違法」や「非常識」から生まれるかを示す、わかりやすい例があります。
車のサイドミラーの話です。ある年齢以上の方なら覚えていると思いますが、昔の日本の車(タクシーなど)は、ボンネットの先端に鏡がついている「フェンダーミラー」が主流でした。
当時の日本の法律では、サイドミラーはフェンダー(前輪の上あたり)に付けることが義務付けられていました。視線の移動が少なくて安全だ、という理屈です。
一方で、海外の車はドアに鏡がついている「ドアミラー」が一般的でした。デザインもシュッとしていてかっこいい。
しかし、当時の日本でドアミラーの車に乗ることは「違法」でした。
では、日本で誰が最初にドアミラーを取り入れたかご存知でしょうか?メーカーの技術者ではありません。暴走族です。
彼らは「かっこいいから」という理由だけで、法律を無視し、フェンダーミラーをへし折ってドアミラーに改造しました。当然、警察には捕まります。「整備不良だ!」と怒られます。
社会的な常識や倫理観から見れば、彼らはただの無法者であり、彼らの改造車は「社会悪」でした。
しかし、どうでしょう。 今の日本を走っている車を見てください。99%がドアミラーです。
フェンダーミラーの乗用車なんて、今では「ジャパンタクシー」くらいしか見かけません。
かつて「違法」で「非常識」で「不良の象徴」だったドアミラーが、今や日本の、いや世界のスタンダードになっているのです。
これがイノベーションの正体です。
もちろん、法律が変わった直接のきっかけは海外からの貿易圧力などのその他要因もあったかと思います。しかし今回の話で大切なのは、そのように法律が変わる遥か前に、現場の「ユーザー(暴走族)」たちは、リスクを冒してでも「機能美」を選んでいたのです。
最初は「異端」や「非常識」、あるいは「違法」に近い領域からアイデアは生まれます。既存のルール(常識)を守っている優等生からは、ドアミラーという発想は出てきません。「法律で決まっているから」で思考停止するからです。
AIは、ある意味でこの暴走族に似ています。過去の膨大なデータを学習してはいますが、そこに「社会的な忖度」はありません。「かっこいいから(最適だから)」という理由で、平気でドアミラー的な提案をしてくる。
それを「お前、法律違反だぞ(常識外れだぞ)」と叩くのは簡単です。しかし、その常識外れの提案の中にこそ、10年後のスタンダードが隠されているかもしれないのです。
※決して違法行為を推奨するわけではありません。
「新結合」こそが創造の本質
ここで改めて、「創造」や「イノベーション」とは何かを定義しておきましょう。
多くの日本人は、イノベーション=技術革新(Technical Innovation)だと思い込んでいます。「画期的な新技術を発明すること」「ノーベル賞級の発見をすること」がイノベーションだと。
しかし、経済学者シュンペーターが提唱したイノベーションの定義はもっとシンプルです。それは「新結合(New Combination)」です。
既存の知と、既存の知を、新しく組み合わせること。これこそがイノベーションの本質です。
わかりやすい例が「アンパン」です。パンという西洋の技術と、あんこという日本の伝統食材。それぞれ単体では昔から存在していました。しかし、それを「組み合わせた」ことに価値があったのです。
ここに新しい技術など何一つありません。あったのは「パンにあんこを入れたら美味しいのではないか?」というアイデア、つまり新結合だけです。
「生ハムメロン」もそうです。しょっぱいハムと、甘いメロン。別々に食べればいいものを、あえて一緒に口に入れる。常識的に考えれば「合うわけがない」ものを組み合わせた結果、誰も知らなかった味覚体験が生まれました。
AIが得意なのは、まさにこの「新結合」です。膨大なデータ(食材、技術、言葉、概念)を持っていながら、それを結びつける際の「常識のブロック」がないため、人間ならスルーしてしまう数億通りの組み合わせを総当たりで試行できるのです。
そう考えると、これからの時代の役割分担が見えてきます。
AIは、バイアスなく無数の「新結合」を提案する(ボケる)。人間は、その中から「これは化けるかもしれない」という原石を見つけ出し、意味づけを行う(ツッコミを入れる)。
AIにすべてを丸投げするのではありません。AIを「常識の通じない、クレイジーなアイデアマン」としてチームに迎え入れるのです。
ビジネスモデルの「新結合」
新結合が当てはまるのは、プロダクト開発だけでなく、ビジネスモデルそのものにも当てはまります。むしろ、現代において破壊的なインパクトを与えるイノベーションの多くは、最先端技術の発明ではなく、「商習慣の新結合」や「ビジネスモデルの組み替え」から生まれています。
その最たる例が、AmazonとApple(iTunes)です。彼らが何をしたのかを解像度高く見ていくと、そこには「常識を疑い、顧客のインサイト(本音)だけを見る」という、強烈な意思決定があったことがわかります。
Amazonが破壊した「本屋の常識」
Amazonが創業当初、書籍のオンライン販売を始めた時のことを思い出してください。当時の書店ビジネスには、絶対的な「常識」がありました。それは「在庫回転率を上げること」です。
実店舗の本屋にとって、本棚(スペース)はコストそのものです。売れない本を長く置いておけばおくほど、坪単価あたりの利益は下がります。だから、本屋は「売れ筋のベストセラー」を平積みにし、動きの悪い専門書やマイナーな本はどんどん返本する。
これが書店経営の鉄則であり、MBAでも教えられる正解でした。
しかし、Amazonのジェフ・ベゾスはこの常識を真っ向から否定しました。 彼は、「高回転率の商品だけに絞る」という常識を否定しました。「回転率が低くても、すべての本を置く」ために、彼は倉庫の仕組みそのものを再発明したのです。
なぜか?彼は、本好きの顧客が抱える最大のペイン(痛み)を知っていたからです。
本好きにとって一番がっかりする瞬間とは何か。それは、わざわざ本屋まで足を運んだのに、「探していたあの本がない」とわかった瞬間です。
「取り寄せになります。2週間かかります」と言われたときの絶望感。あれこそが、本屋という体験における最大の欠陥でした。
ベゾスは、この「ガッカリ」を消すことだけに集中しました。巨大な倉庫を作り、年に1冊しか売れないようなマニアックな専門書もすべて在庫として抱える。「ロングテール」という言葉が有名になりましたが、当時の小売業の常識からすれば、それは「死に筋在庫の山」であり、狂気の沙汰でした。
しかし、結果はどうなったでしょうか。「Amazonに行けば必ずある」という信頼が生まれ、世界中の本好きがAmazonに殺到しました。
「ない本がない本屋」これは、既存の本屋の逆転の発想です。
ここに使われている技術自体は、インターネットとデータベース、そして物流システムです。それら一つひとつは、当時すでに存在していた技術でした。
しかし、「在庫回転率を最適化する」という常識を捨て、「顧客の失望をゼロにする」という一点にすべてのリソースを結合させた。これこそが、Amazonが起こしたイノベーションです。
もしベゾスが、「AIに書店の最適化」を相談していたらどうなっていたでしょう?当時のAI(あるいは優秀なコンサルタント)なら、「在庫リスクを減らし、回転率を最大化するために、売れ筋上位20%に絞りましょう」という“正解”を出していたはずです。
常識の範囲内での最適化は、イノベーションを生まないのです。
iTunesが壊した「アルバム」という呪縛
もう一つの事例を見てみましょう。AppleのiTunesです。
iTunesが登場する前、音楽業界には強固なビジネスモデルがありました。それは「アルバム販売」です。
アーティストが1曲ヒット曲を出せば、他の10曲程度の(言い方は悪いですが)捨て曲とセットにして、3,000円のCDアルバムとして売る。
消費者は、その1曲が聴きたいだけなのに、アルバム全体を買わざるを得ない。これがレコード会社の収益を支える「抱き合わせ販売」の構造でした。
スティーブ・ジョブズは、ここにメスを入れました。「1曲単位でバラ売りしろ。しかも99セント(約100円)で」と。
音楽業界は猛反発しました。「そんなことをしたらアルバムが売れなくなる」「利益が出ない」
しかしジョブズは、「ユーザーはアルバムなんて欲しくない。好きな曲だけをプレイリストに入れたいんだ」という、ユーザー体験(UX)の真実を突きつけました。
結果として、iTunesは音楽の聴き方を根底から変えました。これは「音楽配信技術」の革新ではありません。インターネットで音楽を送る技術(MP3など)はすでにありました。
革新的だったのは、「オフラインの商習慣(アルバム販売)を、オンラインに持ち込まなかった」という英断です。
多くの企業がDX(デジタルトランスフォーメーション)で失敗するのは、ここです。
「リアル店舗の仕組みを、そのままデジタル化しようとする」のです。
もしAppleが業界の常識に忖度していたら、iTunesは「オンラインでCDアルバムが買えるだけのサイト(今のECサイトのようなもの)」になっていたでしょう。
ジョブズが行ったのは、「アルバム」という結合を解体し、「1曲単位」で再結合するという、ビジネスモデルの構造改革でした。
「常識」という名の見えない壁
AmazonとiTunesの例からわかることは、イノベーションを阻む最大の敵は「技術的な限界」ではないということです。
本当の敵は、私たちの頭の中にある「業界の常識」や「商習慣」、そして「これまでの成功体験」です。
「本屋は回転率だ」「音楽はアルバムで売るものだ」
こうした思い込みが、新しい結合の可能性を視界から消してしまいます。
ここで、先ほどの話に戻ります。AIには、この「業界の常識」がありません。
もしAIに「音楽ファンが最も喜ぶ販売方法は?」と問えば、何のしがらみもなく「1曲単位で好きなだけ買えるようにすることです」と答えるかもしれません。人間が「いや、それはレコード会社が許さないよ」と顔をしかめる横で、AIは涼しい顔で最適解(ユーザーにとっての正義)を提示する。
冒頭の問い、「AIに創造はできるのか」に対する答えが、より鮮明になってきたのではないでしょうか。
AIは、人間が勝手に作り上げた「見えない壁(常識)」を軽々と飛び越え、新しい結合を提案することができます。
AmazonやiTunesのような破壊的なビジネスモデルの種は、実は「常識外れ」の領域に転がっている。そしてAIは、そこへアクセスする最適なパートナーになり得るのです。
イノベーションは「逆転」から生まれる
Amazonの例をもう少し抽象化すると、「逆転の発想」が見えてきます。
- 普通の書店:売れる本を置く(在庫リスク回避)
- Amazon:売れない本も置く(顧客の失望回避)
Appleのケース
- 普通の音楽販売:抱き合わせで高く売る(売り手の都合)
- iTunes:バラ売りで安く売る(買い手の都合)
イノベーションの種を見つける一つの方法は、「今の業界が『絶対に正しい』と信じていることの『逆』をやってみたらどうなるか?」と問うことです。
この思考実験においても、AIは強力な武器になります。「〇〇業界の常識をリストアップして」「そのすべての逆を行った場合のビジネスモデルをシミュレーションして」
そうプロンプトを投げるだけで、AIは人間が尻込みするような過激なシナリオを何十通りも生成してくれます。もちろん、その多くは本当に「ただの無謀なアイデア」かもしれません。しかし、その中のたった一つに、次のAmazonになる種が含まれているかもしれない。
それを見極め、「これはただの無謀ではない。顧客のインサイトを突いている」と判断できるかどうかが、これからのテックリーダーの腕の見せ所なのです。
しかし、ここで一つ問題が生じます。いくらAIがユニークなアイデアを出しても、それを実行に移すには「現実」という壁があります。「それ、本当に儲かるの?」「実現できるの?」という問いです。
多くのイノベーションが、アイデア段階で潰れてしまうのはなぜか。
それは、実現可能性を見積もる力、すなわち「推察力」と「概算力」が不足しているからです。

