元PlayStation CTO・茶谷公之(ちゃたに まさゆき)さん。ソニーにバブル経済真っ只中で入社し、キャリアは「手書き文字認識エンジンの開発」から始まりました。1987年、新入社員の茶谷さんを含む4人のチームに課せられたミッションでした。当時のパソコンの動作周波数はわずか8MHz。今のコンピュータより数百倍遅いマシンで、人が紙に書いた文字を読み取る仕組みを、ゼロから開発。その技術は1990年、ソニー初のペンコンピュータ「PalmTop(パームトップ)PTC-500」として世に出ました。
茶谷さんはその後、PlayStationの開発を経て、約40年にわたって技術の「層」を一つずつ上るキャリアを歩んできました。今回はスペシャルインタビューとして、全5回にわたって話を聞きました。第1回は、すべての始まりとなった手書き文字認識の開発についてです。
- 第1回:元PlayStation CTOのキャリアは、わずか8MHzで動作するコンピュータ用「手書き文字認識」開発から始まった(この記事)
- 第2回:「借金しても遊ばなきゃいかん」新卒ソニー→米国留学→PlayStation立ち上げ→40歳でCTO
- 第3回:元PlayStation CTOが歩んだキャリア。ソニー→楽天→その先は?
- 第4回:自動車の次はロボティクス×AI。シニア社会という日本の勝ち筋
- 第5回:AIが“分かる”と“使える”をやる時代、人に残るの“創る”こと。元PlayStation CTOから次世代へ贈る言葉
「作れるか作れないか分かんないけど、作ってみるか」
──茶谷さんは新卒でソニーに入社されました。そもそも、技術に興味を持った原点はなんだったんですか?
茶谷公之 子どものころは、短波ラジオで海外の放送を聴くのに夢中でね。アルゼンチンからの日本語放送があったんですよ。南米は日系の人が多いから、その人たちに向けて放送してたんだけど、状態がいいと日本にも届くことがあるんです。
──地球のほぼ裏側からですね。
ただ、周波数のすぐそばに妨害電波が出てて、うるさいわけ。それをSSB、シングルサイドバンドっていう変調方式で受信すると、妨害される側を避けて聞きやすくなる。そういうテクニックを雑誌やラジオクラブで覚えてね。当時のクラブ(日本BCL連盟)の会長は、「ペンシルロケット」で有名なロケット研究者の糸川英夫先生でした。
──好奇心の原点はそこにあるんですね。それが、ソニーにつながるんですか?
聴いていたのが、ソニーの短波ラジオ・スカイセンサー5900でね。中学のころにはもう、ソニーに入りたいと思ってた。当時のソニーの会長が創業者の盛田昭夫さんで、盛田さんが大阪大学卒。同じ大学に行けばソニーに入れると思って、大阪大学の基礎工学部に行ったんです。
──ソニーのラジオで世界を聴いていた少年が、ソニーに入って、世界中で使われるものを作る側になったんですね。そして、入社して新卒で最初に任されたのが、「手書き文字認識エンジンの開発」だったんですよね。正直まったく想像がつかないんですが、何から始めて、何が必要で、どうやって作るんですか?
完成品も何もなくてね。作れるか作れないか分かんないけど、作ってみるかな、みたいな感じで始まったんですよ。それに、あのころのコンピュータって、8MHzぐらいだったからね。
──メガ!今ってギガですよね?
編集注
・8MHz:1秒間に約800万回の計算 ・4GHz以上:1秒間に約40億回以上の計算(約500倍)。最新のMacBook Air搭載のM5チップは、実測ベースで4GHz以上で動作するとされる。
そう。今より数百倍遅いんですよ。でも、1文字書いて10秒も待たせるわけにはいかないから、ある程度スラスラと書けて、リアルタイムで反応するレベルに作らなきゃいけない。いろいろ技術的制約がある中で、チームで検討して作っていきました。
──チームは何人くらいいたんですか?
僕を含めて4人だね。
──えっ。
課長と係長と、2年目の先輩と、新卒の僕。課長がすさまじく優秀で、すごいエンジニアだった。まず仕様を決めるところからで、草書や行書はちょっと無理だよねって話になって、楷書を選ぶ。しかも原稿用紙の1つの枠の中に1文字を書いてもらうっていう前提で。白紙のところに楷書で書かれると、カタカナの「ル」って書いたのか、「ノレ」って書いたのか分からないっていう問題があるから。これ、ノレノレ問題っていうんだけどね。
──ノレノレ問題っていうのがあるんですね。
JIS第一水準では2,965文字あって、数字やひらがな、カタカナまで入れると大体3,000文字。それを認識できるマシンを作るという基準を定めました。文字のサンプルがたくさん必要になるから、アルバイトの人に延々と書いてもらってたね。
花マークも「義」の省略も。ユーザー辞書という発想
──サンプルを集めて、認識エンジンを作って、どうするんですか?
茶谷公之 エンジンができてきたころに「ユーザーが自分の文字を登録できたほうがいいよね」って話になって。僕はその文字登録エンジンを途中から担当することになった。その人特有の文字、例えば花マークみたいな文字が来たら、ちゃんと認識するようにしたんだよね。
──花マーク?
うん、例えば、くるくるって巻いたら何かの文字にしたいとか、そういう個人の記号。あとは画数の多い「義」みたいな漢字を省略して書く癖がある人がいるでしょ。カタカナの「ギ」に点々みたいに崩して書くと、ちゃんと漢字の「義」に変換される。そういうのをユーザー辞書として登録できるエンジンを作った。
──今でいうユーザー辞書みたいなものですか?
そうそう。認識エンジンのほうは主に課長たちを中心としたチームで開発し、登録エンジンは僕が作りました。
198,000円の"手のひらコンピュータ"
──手書き文字認識の開発は、1988年秋に声がかかって、1990年に実機として「PalmTop(パームトップ)PTC-500」を発売したんですね。話が出てから発売まで、早くないですか?
茶谷公之 うん、だいたい1年半でやりきったね。当時の価格で198,000円。今のiPhoneだって10万円するけど、あの時代に198,000円はなかなかだったと思う。ビジネスエグゼクティブ向けっていう売り出し方で、カレンダーとかメモの機能があったのと、ファックスも送れた。

<PTC-500 引用元:SONY「商品のあゆみ」>
──そういえばファックスって、どうやって送るんですか?
音響カプラって分かる?
──聞いたことないです!
電話をかけて、相手がファックスだったら、受話器に音を聞かせてデータを送る。音でファックスが送れるんだよ。
──え、音で?
そう。まだインターネットが普及する前だから、電話回線で全部やってた。
──あ、ピーヒョロヒョロヒョロ……ってやつですね!
そう。最初のピーって音のあとの、ひょろひょろっていって通信がはじまって、その後データを送りはじめる。ああやってデータを音に変えて送って、向こう側でその音を受信して絵や字に戻すんです。
──茶谷さんも実際に使ってたんですか?
発売した年にアメリカに留学したんだけど、出張セットとして持っていってね。向こうに着いたとき、ホテルからこの音響カプラで「着きました」って会社にファックスを送った。メモはペンで手書きできるし、文字はキーボードでも打てるから、その組み合わせで書いて。
──ご自身で開発したPCで、「着きました」はかっこいいですね!
取材・文:RUNA NAITO / 取材日:2026年7月31日
書籍情報

『AI時代のテックリーダー論 消えゆくテックリーダーたち』(オフィスちゃたにパブリッシング)

